例えば、焼き魚を作るのにいつもはパックの魚の切り身を使っていたとしよう。 包丁は使わずにただ焼くだけの簡単な調理だ。
そんなとき、私はパックの魚の切り身を使うのではなく、新鮮な魚を自分で捌いて作ったらもっと美味しくなるんじゃないかと思い立つ。
そこで私は家族に言ってみた。
「今度魚丸ごと買ってきて自分で包丁で捌いて焼き魚を作ってみようと思う。」
そしたら家族はこう言った。
「包丁⁉︎あの殺人事件で人を刺すのに使われた包丁⁉︎そんなの使うのやめなよ!今まで通りパックの切り身で良いじゃない!」
私は言った。
「確かに殺人事件で包丁は使われたかもしれないけど、それは犯人が悪いだけで包丁は悪くないじゃん!むしろ素晴らしい道具じゃん!」
家族はさらにこう言った。
「いや、それでも包丁は殺人に使われるから嫌い。やだ。そもそも魚を捌くなんてできるの?」
私は呆れて言った。
「できるかどうかなんてやってみなけりゃ分からないじゃないか。練習しないとできるものもできないよ。」
家族はまだ言ってきた。
「怪我するかもしれないよ。危ないからやめなよ。」
殺人事件で悪いのは包丁ではなくて犯人だし、道具は使い方を学んで練習しないと上手く扱えない。
そもそも包丁に対して嫌いという感情を持つことがまずおかしい。
包丁に対してこんな反応をする人はまずいないだろう。
だがしかし、 NFT、仮想通貨、ChatGPT、AIイラスト、クラウドファンディング… 新しい技術や仕組みが出てくるたびにこんな反応をしている人を見たことはないだろうか?
新しい技術や仕組みだけではない。お金の使い方、投資、借金といったことに対してもそうだ。
- 仮想通貨?詐欺じゃん!
- AIイラスト?なんか嫌い!
- NFT?なんか怪しい!
- 投資なんてやりたくない。
このような反応をする人が多く存在する。
そもそも技術や仕組みに対して好き嫌いという感情を持つことがまずおかしい。 悪いのはそれを悪用する人だ。
スマホがどんなに嫌いと言ったところで今の時代スマホと接点なく生きる方が難しい。
技術というのは便利であれば自ずと広がっていく。その技術はもう存在しているのだから。 であればきちんと理解し、正しく扱えるようになるべきである。
また、知らないことはまず勉強し、経験してみないと本来何も評価できないはずである。
しかし現実は訳の分からない批判をする人のなんて多いことか。 挙げ句の果てに「怪しい」や「よく分からない」といった自分の勉強不足、能力不足をそのまま批判の理由に挙げる人もいる。 恥ずかしくないのだろうか。
包丁を正しく扱える者は使い方を学んで、実際に触ってみて、怪我しながら練習したもののみだ。
学ばない、試さない、練習しない、そんなことではいつまで経っても正しく扱えるようにはならない。